Home > フォントの話 > 1. UDフォントをめぐる

書体というものが作られたのは実に紀元前数世紀に遡ります。そしてその歴史と言うのは、とりもなおさず視認性、可読性、誘目性、印象性と利便性の追求と探求の歴史にほかなりません。そもそもは手書き文字や彫刻用のものでしたが、やがて木版などの印刷用の活字となり、中世後期の金属活字の活版印刷の登場により現代のフォントへとつながって行きます。

 

19世紀にポスターなどの表題用の書体としてアクチデンツ・グロテスクなどのグロテスク体が作られてから、現在のサンセリフ書体の歴史は始まりました。グロテスクと言うのは「醜悪」と言う意味ではなく「装いを凝らした」と言う意味で「ゴシック」も同様の意味です。そういうわけでブラックレター体はそもそもゴシック体と呼ばれたわけです。サンセリフはこれまでのセリフのある書体と違って、洗練されてスッキリとし、力強く視認性の高い書体として利用されて行く事になります。

1968年にエイドリアン・フルティガーがシャルル・ド・ゴール空港のサインのために、遠くからでも誤読しない視認性の高い文字として開発したのがFrutigerで、後にヒューマニスト・サンセリフ体とよばれるカテゴリーの初期の書体です。

UDフォントもこの書体とおおむね同じコンセプトのもとに開発された文字と言っていいでしょう。

 

UDフォントと呼ばれるフォントが登場したのは2006年のことです。最初のUDフォントの開発はイワタとパナソニックが共同で行いました。「高齢化するユーザー層に対応できる読みやすい表示用フォントの開発」と言うパナソニックの要求を具現化すべく、イワタ新ゴシックをベースに改良を加え、いろいろなユーザーテストなどを行った成果として完成した物でした。当初は電気製品の表示用という事で、限られた文字しか作られませんでしたが、その後イワタによって文字数を増やし、各種ウェイトを揃えて発売されたのがイワタUDゴシックです。

その発売から2〜3年ぐらいのちに、各社が追随するようにUDフォントを発表します。今では一般化し読みやすいフォントとしても認知されているUDフォントですが、当初はその特徴に対するネガティブな意見もなかったわけではありません。そのポイントは以下のようなものでした。

 

・健常者、高齢者、視覚障がい者、それぞれの条件にあわせてフォントは作られるべき

・一つのデザインですべての人たちに最適化することは可能なのか

・閲覧者は縦組でも横組みでも、まず下のラインを見る→下のラインが揃わないUDフォントは違和感がある

・読み違え、誤認の対象となる文字が実際の文章の中に存在する割合は低いので、読みやすさに寄与する部分が少ない

などなど

 

こうした意見はもっともなのですが、実際に組んでみるとこれまでのゴシック体よりもはるかに読みやすく、綺麗な紙面を作れることに気がつきます。

イワタUDゴシックがリリースされてしばらくした頃に、某車両メーカーがマニュアルに使用するためのフォントを探求をしました。色々なフォントで見出し付の長文を組んで、どれが読みやすいのかを調査したのですが、実のところ、イワタUDゴシックはとても優秀でした。ボールド以上の太い書体は期待したほどの視認性や可読性の優位性を活かしきれず、見出し文字としては誘目性、印象性に優れ視認性も高いモリサワ新ゴに軍配が上がりましたが、レギュラー、ライトの細い書体ではどのフォントよりも読みやすいとの評価を受けました。ユーザビリティテストにおいても全年齢で評価が高く、UDを冠するフォントの名に恥じないものでした。後にその某車両メーカーの取扱説明書の本文指定書体として採用され、一様に評価は高かったと聞いています。

 

「伝統的なゴシック体のゲタ(飛び出た足)を取り去った」ことで読みやすさをスポイルしていると言う意見もありました。この点は正しくもあるし、そうでない点もあるように感じます。当初のUDフォントはほぼ全てがゲタを取り去って、限られたボディの中で文字のフトコロを確保する方向に走っていました。理屈の上では下のラインが綺麗に揃わなくなる事になりますが、実際に組んでみると、それほどバランスは崩していません。ただ、ウェイトの太い文字ではその傾向が顕著になるように感じました。全体の白黒のバランスによって左右されるようです。

さらに今では「UDフォント=ゲタがない」ではなくなっています。UD明朝体もありますし、ヒラギノUDゴシックやTBUDゴシックのようにゲタのあるUDゴシック体も作られています。当初からゲタを取り去る事は「手段」であってそれ自体が「UDフォントである所以」と言うものではなかったのでしょう。読みやすさのために限られたボディの中で文字のパーツをどのように効率的に配置するのか、を実現するための方法論の一つに過ぎなかっただけのようです。

ヒラギノフォントは文字を組んだときのグレートーンが一様に見えるようにアキが均等になるように作られたフォントです。つまり文字バランスが優れており、白い部分が潰れて見えにくいという特徴があります。そもそもがそのような設計のフォントですから、これをUDフォント化(ちょっと変な表現ですが)するにあたっては、わざわざゲタを取ってバランスを変える必要が無かったため、ゲタのあるUDフォントになったと考えられます。ラインが揃う事による読みやすさの向上の他に、記号の『□』と漢字の『口』カタカナの『ロ』等の読み違えを無くすことも目的の一つとなっているそうです。

 

今あらためてUDフォントを定義するとすれば、「すべての人にとって読みやすい文字」と言うことになるのでしょう。そもそもフォントなんて言うものは読みやすさを考えて作ってきたものだから、それを声高に言うのは変という意見もあるでしょうが、イワタUDゴシックのように、実証実験を通じて客観的に「可読性」や「視認性」を追求したフォントはそれまではなかったのではないでしょうか。

 

モリサワもUD書体の可読性、可視性を示す学術的な比較研究結果を公開しています。詳細な報告についてはこちらでpdfで閲覧できるようです。

読書効率(可読性)と文字の判別のしやすさ(視認性)の2点について、比較対象書体での全体比較で、視機能に障害または困難を伴う対象者には、通常使用している書体よりUD書体のほうが判別しやすく、情報などを効率的に読めることが示されたということです。

 

UDフォントは日本語書体におけるカテゴリーの一つとして定着し、続々と新しいUDフォントがリリースされています。多くは過去のフォントをUD仕様に改刻したものですが、この傾向はより進むのではないかと思います。また、メーカーが専用書体を作る動きも見られるようになってきました。最近の例ではソニーのSSTフォントなどがあります。SSTは可読性が高く視認性にも優れた、いかにもUDフォントらしい綺麗なフォントです。SSTの詳細についてはこちらを参照ください。ソニーではこのSSTをプロダクトのロゴにも展開していくそうですが、いくつかの企業で行われているこうしたフォントをロゴタイプとして使うという事について考察してみたいと思います。それはまたの機会にお話ししたいと思います。

アクツィデンツ・グロテスク、フルティガー、ブラックレター