ヒトがヒトであるが故に、ヒトの目は錯視を起こします。数値的に正しいモノがその通りに見えないことが多々あります。代表的な例として正方形はヒトの目には縦横の長さが等しい矩形には見えず、やや縦長に見えます。これはヒトの知覚が縦方向のものを長く感じるために生じます。同様に正円も縦長の楕円に見えます。他にもいろいろな錯視があります。
真っ直ぐのはずの直線が折れ曲がっているように見える、平行線が平行に見えない、直線が曲がって見える、角ではないところが角に見える、数値的に同じ長さまたは同じ大きさのものが異なって見える、無いはずのものが在るように見えるなどなど。
形状に関してだけでなく、色彩や明暗などについても様々な錯視を生じます。面積の違いや隣接する色の違いなどによって全く同じ色なのに異なる色のように感じたり、無いはずの影や線が見えたり、静止しているはずのものが動いて見えたりします。錯視の多くは生理学的なもので、何人にも起こるものです。
また、カメラとは異なりヒトは目の前にある15cmのペンも2m先のペンも、同じ15cmのペンとして認識します。同様に青い光のもとでも薄暗い月明かりの下でも、照明条件が異なる環境下で数値的に赤い色がなくてもリンゴを赤いと感じます。これは対象物の光のスペクトルだけでなく周囲の色のスペクトルから環境条件を経験などに基づいて類推して本来の色を知覚するからです。こうしたことを知覚の恒常性と言います。静脈を青いと感じるのも同じ恒常性による錯覚で。物理的な色はグレーに近い肌色なのです。
影の部分の色と明るい部分の色で同じ色が全く違う色に感じる錯覚や、同じ写真を見ているのに違う色に感じることなどは、この恒常性による錯視と考えられます。急な下り坂と緩い下り坂が続く道路で先の下り坂を登り坂と錯覚するのもこうしたことによると思われます。ヒトの目がカメラのようにただ映像として捉えているだけでなく、脳で処理して様々に補正しているのでこうした錯視が起きるのです。
鋭角に尖った形状の場合、先端の尖っている部分が計算上の一番先端まで永遠に見えるわけではありません。ある地点でそこから先の細い部分が見えなくなります。これはデジタルカメラのイメージセンサーに解像度があるようにヒトの目にも解像度があり、ヒトの目が感知できる モノの大きさに限界があるためです。おおよそですが、手元で焦点が合っている状態で0.03mm程度の大きさが大きさを認知できる最小サイズのようです。また感知できる色についても生理学的な特徴があります。ヒトの網膜には光の三原色の赤と緑と青を感知する細胞がありますが、圧倒的に青が少ないのです。そのため他の色に比べて青い色を感知する能力が低いと言われています。青い車が最も追突事故に遭いやすいというのもこれに由来するのかもしれません。そしてこうした生理的な限界の場合、個人差や年齢差が大きくなりがちです。
フォントやロゴマークをデザインするにあたって、この錯視をはじめとしたヒトの視覚のメカニズムを理解し考慮して、本来意図した通りに見えるように補正しなければなりません。これを『視覚調整』と言います。
実際に視覚調整がどのようなものなのかをアルファベットの『X』を例にしてみましょう、『X』を上下左右対象に交差する2本の太い線で作成すると、それぞれの線分が重なる部分で折れてまっすぐ繋がっていないような錯視が生じます。さらにそれぞれの足の太さが同じであるのに異なって見えたり、足の幅が均一なはずなのに先に行くほど細くなっているように見えたりします。また、全体に上部が大きく左に傾いているように見えます。これらはすべて錯視です。これらをそれぞれの線分がまっすぐ繋がっているように、全体がまっすぐ立っているように、すべての足の太さが均一であるように、そして上部が大きく見えないような視覚調整を施します。こちらも差分を見てみると、あらかじめ右に傾けていることなどがよくわかると思います。
このようにヒトが見る前提である文字やロゴマークは、意図したとおりに見えるようにするために数値的に線を引いただけではなく、細かく調整しなくてはなりません。しかし、昨今はこの調整をしないデザインも散見されます。そうしたものの場合、どうしても見た目が不安定でゆがんで見えるので、荒削りで勢いを感じる反面、安っぽかったり、俗っぽかったり、場合によっては古臭い印象になりがちで、高級感や高品質感を求めるのは難しいと思われます。担当デザイナーが意図的に数値的に正しいだけの図形で作成し、クライアントもその意図やポリシーを共有し、それがもたらすイメージやリスクを理解して納得している限りは、外野がとやかく言うことではないでしょう。しかしデザイナーの力量不足や説明不足などが元で、クライアントが理解しないまま成立しているとしたら、そもそもデザインの質として高いとは言い難いモノだけにいささか問題であると言わざるをえません。
以前「このドレスは何色に見える?」というSNSに投稿された一枚の写真が物議を醸したことがあります。人によって「青地に黒の帯」か「白地に金の帯」に見えたからです。中には両方という人もいましたが、その多くは容易に見え方を切り替えられるわけではなく。随意でなかったりかなりの努力を必要としたようです。青いドレスに見えた人の中には、最初は青黒に見えたが、以後は青茶に見えたという人がかなり多くいたようです。また青黒の方が年齢の高い人が多いという報告もあるようです。
現実の中で青黒のドレスがあの写真のように見える照明や状況が考えにくいので、理論上は青黒と知覚することは珍しいはずなのですが、相当数の人が青黒と認知しているので、その心理学的メカニズムについて再考する必要がありそうだとする研究者もいるようです。
さて、件のドレスの実物は青地に黒帯だったわけですが、だからと言って白金に見えた人の目がおかしいわけではありません。理論的には白金と見える方がむしろ普通のことだったので、そう見えたこと自体は間違いとは言えません。デザイン的見地からするとそもそも人によって全く色が異なって見えると言う時点で問題大ありといえます。これが仮に通販サイトの商品写真だったら返品騒ぎにつながる一大事なわけで、このような混乱が起きないようにするのもデザインの役目と言えるでしょう。
■形の錯視
● フィック錯視
縦線と横線は同じ長さであるが、縦線の方が長く見える
垂直水平錯視とも言う
● ポッゲンドルフ錯視
斜線は一本の直線だが、右上に飛び出た部分が上方にずれて、左下の線分と交わらないように見える
● エビングハウス錯視
グレーの円は全く同一。周囲のモノの大きさによって見かけの大きさが変わる。右のほうが大きく見える
■明るさの錯視
● ホワイト錯視左右とも中央のグレーは数値的に同じ明るさだが、対比現象と同化現象が働くことで異なる明るさに見える
● シュブルール錯視物理的に均一な輝度領域の並びだが、それぞれの境界が相対的に暗い側は実際より暗く、明るい側はより明るく見えるため、波打って見える
● マッハバンド
均一な輝度領域から輝度勾配領域の境目に物理的にないはずの急な勾配による線が見える
■色の錯視
● ムンカー錯視
上段の中央の赤系の色は左右とも数値的に同じ色、同様に下段の緑系の色も同じ色だが、全く違う色に見える
● 色の面積効果
面積が大きくなるほど明度と彩度が大きく、すなわち明るく鮮やかに感じる
● 色の恒常性
左は赤いフィルターによる色の偏向から類推した本来の色として、目の色を青く感じているが、物理的には右と同じグレーで青の要素は全くない
■色の恒常性
● ドレスの色は?
右は逆光や薄暮の中など被写体の光量が足りない状況。左は乳白色のフィルターとか薄いカーテン越しで同時に光量が多い状況。現実だとあまりないと思われる。図の通りそれぞれの右側の囲みの中のドレスの色は全く同じ。
● 静脈は青くない
肉眼で見ると青く感じる静脈の色を実際に測ってみると少し肌色掛かったグレーであることがわかる。これも恒常性による錯覚